怖い大人の誤った自覚をしている人が多い?
先日、お笑い芸人カンニングの竹山さんが、自身のこれまで積み上げてきたキレ芸を活かし、間違ったことをしたら、ガツンといえる怖い親父を目指したいと語ったそうです。
竹山さんいわく、昔にはよく見かけた、近所に住む頑固親父や、普段は温厚でも人の道をそれたときには厳しく怒ってくれた寺の住職のような存在になりたいとの事。
確かに、数多くいるお笑い芸人の中でも、感情を露にして、ぶち切れるという芸風を貫き通しているという印象では、竹山さんはトップクラスかもしれませんね。
しかし、今回の竹山さんの発言(目標)に対して、一般人の反応は、冷めたものでした。
というのも、私も思ったのですが、人に誤りを指摘する上で大切なのは、その時は厳しい言葉を含めても、相手のことを思って諭すことが目的です。
ですが、竹山さんのように、顔を真っ赤に、怒鳴り声を上げながらでは、自身の怒りをぶつけるだけでは、相手に伝わるのは、不快な感情や、気持ちを逆なでするようなネガティブなものばかりです。
こうなると、怒りをぶつけられた相手の性格によっては、その場で取っ組み合いのけんかに発展するか、深い恨みや憎しみを抱くことにもなりかねません。
怒った本人は、一種のストレス解消にも繋がっているので、スッとした気持ちにもなりますが、一方的に怒鳴れた相手は、たまったもんじゃありません。
実際、ネットを中心とした一般人の反応の多くも、普段から怒りっぽい人は、次第に慣れてきてまったく怖くなくなるという意見や、感情的な言動には反省や感謝の気持ちを抱くことは無いなど、厳しい反応が殆どでした。
また、竹山さんのキレ芸はお笑いという枠組みの中で認められるパフォーマンスであっても、たとえ自分に非があっても、同じようにキレられては、こちらも冷静ではいられないという声もあり、芸風の延長線上に、周囲に怖がられながらも一目置かれる存在になるというのは難しい気がします。
それだけ、人を諭し、目を覚まさせるというのは難しいという事です。
怒ると叱るを同じに考えてはいけない
そもそも、竹山さんのように怒る、怖いという感情のみで、相手に反省や誤りを指摘するのは間違いだと思います。
そうした場合に求められるのは、相手の気持ちや感情を汲みながらも、間違いを指摘し、改善を求めるものです。
そのときには必要なのは、途中で相手が感情的になっても、冷静さを保ちながら根気よく話し合いを続け、相手を思っているからこそという気持ちを伝える必要があります。
そうする事で、最初は頑なな態度や反応を見せていた相手も、徐々に、気持ちを開き、一言一言を耳だけでなく、心から聞いてくれるようになるのです。
それは、口汚い言葉や感情をぶつける怒りとは違い、相手を思い諭すという根本から生まれる、叱るだからです。
よく子育てでも聞かれる、子供を叱りつけるというのも、これですね。
誰よりも子供の事を愛しているからこそ、間違いを指摘し直してあげたいという気持ちからくるものです。
最後に、もう一度言っておきますが、相手のことを思っているなら、怒りではなく、叱るということを自覚してから行ってください。
でないと、いつも、ただ怒っている人という印象で、周囲から疎まれるだけの迷惑親父になってしまいますから。