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世界の果てまでイッテQ、ヒットの裏にスタッフの離婚があった
いま、もっとも多くの視聴者から支持されているバラエティ番組『世界の果てまでイッテQ!』
第54回ギャラクシー賞(放送批評懇談会主催)からも、特別賞を贈られるなど、名実共に、ナンバー1のバラエティ番組といってもよいほど乗っている感があります。
しかし、ヒット番組の裏には、犠牲もあった様で、授賞式に駆けつけた森三中の黒沢かずこさんの口から、スタッフが次々と離婚したという衝撃的な事実が明かされました。
その理由は、国内に留まらず、海外にもロケに行くことが多い番組の性質上、家を空けることが多くなった事にありそうでした。
黒澤さんのコメントに会場では笑いがおこったという事から、事実なのか、冗談だったのかは、定かではありませんが、もし事実であれば、お茶の間に笑いを届ける為に、自分の家庭を犠牲にされたという告白は、何だか申し訳なさを感じてしまいますね。
仕事に忙しくする事は悪ではないが
さて、ここからは一般的なお話になりますが、仕事に忙殺されるような日々を送っていた事で、ある日、突然、妻から離婚を切り出されたというケースは、昔からよく聞きますね。
それこそ、また芸能界の話に戻って恐縮なのですが、共に仕事が忙しく、すれ違いによって離婚という事情が紙面に書かれた芸能人同士の破局報道なんて、これまで何度あった事か。
それだけ、家を空ける時間が多くなると、家族とのコミュニケーションをとる機会も少なくなり、そこに、家族としての溝が生まれてしまうと言う事でしょうか。
ただ、仕事をしている夫からすれば、
『俺だって、遊んでいるわけじゃない。仕事をするのは家族を養うためだろ!』
と、ついつい、口をついて出てしまう気持ちは理解できます。
でも、これを言っちゃうと、
毎日、24時間、休む間もなく、家庭を守る妻の立場からすれば、
『私だって、あなたのいない間、一人で家族を守っているのよ!』
と、強烈なカウンターパンチが飛んできて、気がつけば、マットに沈んでいるなんて事もあります。
仕事上、忙しく、家のことが気になっていても、時間をゆっくりと持つ事ができない場合はあります。
そうした時に、
(仕事なんだから仕方がない、そんなのイチイチ言わなくても分かるだろう)
と、自分の中だけで自己完結していませんか?
これは、絶対にやってはいけない事ですよ!
家族だからと後回しにする事は、崩壊を招く
悪気はなくとも、自分が仕事をするのは、家族の為なのだから分かってくれるだろう。
そう、自分勝手に解釈し、仕事を名分に、家を空け続ける事は、家に残される形となった、家族みんなからの不信を買う行為にほかなりません。
家族こそが、もっとも自分にとって一番の理解者だと主張するのなら、家族にとっても、あなたが一番の理解者でなければいけません。
それなのに、家族なのだからという、自分だけの頭の中で作り上げた、都合のよい家族像に信頼を置くのは、一方的な思い込みに過ぎません。
家族だからこそ、忙しい中に時間を作り、いまの自分の現状を話し、理解を得る事が大切なのです。
それを、面倒だとし、黙って家族に背を向けて、仕事にばかり向かう姿には、自分の事かしか考えていない、この人にとって家族、家庭って何なんだろうと、不安と疑問だけを残していくのです。
時間がないという言い訳で、家族と話す事を面倒と思っている態度は、言葉にしなくても相手に伝わります。
そんな日々を繰り返し、ある日、突然に離婚を切り出されたと思うのは、あまりに身勝手な考えと言えるでしょう。
あなたにとっては、突然でも、家族はそれまで、何度もあなたと話し合いたいと思っていたはずです。
それに気がつかず、家族を顧みなかったのは、あなた自身なのかもしれません。
話し合うと言う事に、とてもハードルを感じる人がいますが、そんな数時間も話し込む必要などないのです。
ただ、
『いま少し仕事が忙しくてね。家族のことを君に任せてばかりですまないと思っている』
『落ち着いたら、家族との時間を持つようにするから、その間、頼むよ』
など、あなたに代わり、家庭を切り盛りしてくれている、パートナーに気遣いの言葉をかけるだけ、理解してもらえ、仕事で頑張っている間にも、支えてくれるのです。
これさえ、面倒くさい、何故、そんな事を言わなければいけないんだと、思っているのであれば、あなたには、元々、家庭を持つ責任感も素養もなかったと言うことでしょう。
そういう人は、どうぞ、ひとり仕事に打ち込む人生を歩んで頂ければよろしいかと思います。
そうすれば、他人の人生を浪費するなどと言う、罪深いことを犯す事もないのですから。
何かの理由をつけて、家族を後回しにする行為は、最後には自分に返ってくるものです。
家族のためにと、口癖のようにする人ほど、本当に自分は家族を大切に思っている生き方をしているか、一度考えてみるのもよいでしょう。
人生の最後を、家族の手によって送られることを望むのであれば、家族について考える時間を無駄とは絶対に言えないはずです。