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若手俳優の関白宣言に偉大な父を見る
テレビ番組にゲスト出演した若手俳優が、女性の好みを聞かれて、
『男性の後ろを3歩下がって歩くような女性』と答えられていました。
彼のニュアンスを聞く限りでは、出しゃばらず、常に男(自分)の意見に従う、おとなしい女性と受け取りました。
正直、今どきの若い男の子の口から、さだまさしさんの名曲である関白宣言のようなことを聞くとは思わなかったです。
まぁ、異性の好みは人それぞれで、それを論じるなどという事は、無粋にも感じます。
ただ、彼のお父様は、有名な元プロ野球選手で、監督まで務められた大人物。
以前に、まだ現役だった頃、家庭内の様子を映したVTRを偶然に見たのですが、驚いたのは食事のメニューでした。
豪華絢爛な内容だったというのではなく、10品を越える副食の多さに驚いたのです。
その理由は、言わずもがな、アスリートとしての健康管理と、肉体維持の意味合いが多く含まれている事。
その時は、やはり球界を代表するエースとまでなると、食事から一般人とは違うものなんだなと深く感心させられました。
偉大な選手時代には妻の内助の功があった
しかし、その毎日の食事を用意されるのは、当然、連れ添う奥様の存在なくしてはありえません。
偉大な選手時代を、内助の功で支えてくれる妻は、先程の若手俳優の母親にあたります。
当然、両親の姿を見て、育ったわけですから、パートナーに求める理想像をそこに見てもおかしくはありませんよね。
そうした家庭環境で育ったからこそ、今どきではない、古風と感じる価値観をもたれているのかもしれませんね。
古風な女性を現代で探す事はできるのか?
私でさえ、随分と古風な事を言う人だと思ったのですから、彼と同年代の女性は、時代錯誤も甚だしいと感じた人も多かったのではないでしょうか?
それでも、探してみれば、控えめで、男性に尽くす事を厭わないという女性はいるでしょう。
ただ、それには、女性がそこまで尽くしても良いと思えるほどの、男っぷりが最低条件である事は間違いありません。
この男っぷりという曖昧な表現が、女性によっては、容姿であったり、経済力であったりと、細かいところを言えば女性の数だけあると言えます。
こうすると、
『いや、そうした欲まがいや、打算的なものがない、純粋な感じの女の子でお願いします』
なんて声も聞かれてきそうだが、ただ可愛い、癒されたいという目的で飼うペットとは訳が違います。
相手の女性も、一度しかない自分の人生が掛かっているのです。
支え甲斐を見出せない相手に、大切な時間を浪費などしたくないはずです。
逆に男の立場で考えれば、家事洗濯はしない。だからと言って仕事に情熱を持っているわけでもなく、家でただゴロゴロしている女性と、何の不安も無く生活していけますか?
それは、女性も同じなのです。
自分の人生をかけるに値する、価値を見つけてこそ、男性について行こうと思います。
そういう意味では、
『男性の後ろを3歩下がって歩くような女性』
と、言える男性は、今の自分に余程の自信を持っていなければいけません。
それは、今回の彼で言えば、俳優としての実力、将来性という事になるでしょう。
偉大な父親とは、活躍する世界、年齢も違うので、現時点では比較するのもナンセンスですが、完成された理想ばかりに目をやっていると、見えない事もあります。
その姿になるまでは、どれだけの苦労と努力があったのか。
そして、3歩下がる女性という理想像も、完成されたものではなく、自分の人生をかけて支えたいという男性に巡り合ったときに、自らの意思で決めた時の姿とも言えます。
先述でも触れましたが、会った時から、男性に尽くすのが主義という女性は稀でしょう。
あくまで、そう思わせる程の男性との出会いが、影となり、慎ましく夫(恋人)を支えてくれる女性を誕生させるといった方が正しいでしょう。
この時代に、関白宣言を思わせる発言をする若手俳優には、それだけの自信があるのかは分かりませんが、探して見つかるものと考えているのであれば、上辺だけの理想像かもしれませんね。
尊敬に値する背中を見せ続けるだけの力量と才覚があってこそ、女性も一歩でも三歩でも後ろに下がるわけです。
ただ、女性に偉そうな態度を取りたいだけの、空威張り亭主(恋人)なら、付いてきているものと振り返れば、いつの間にか居なくなっているのがオチでしょう。