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同情を買おうとする女は憐れみを買う
世の中には、わざわざ自分の不幸ごとを、周囲に知らしめようとしてまで、同情を買おうとする女性がいます。
世間や周囲から、
『可哀相だね…』
『お気の毒に…』
と、同情の声を掛けてもらうたびに、自分を悲劇のヒロインだと錯覚し、自己憐憫に浸るのです。
しかし、それで自分の傷ついた心を癒せるのなら、それも自己を守る手段として認められるのかもしれません。
ですが、その同情を買うという行為も、やり過ぎると逆効果になる場合があります。
一度だけなら、周囲も心から、同情心で気遣いますが、それに味を占めるかのように、同情を買い続けようとすると、次第にこの人はただ、注目を集めたいだけなのではとないかと思われてしまう可能性があります。
また、同情を買っていた人も、最初はそんな気がなくても、同情される事に、一種の快感を覚え始めてしまうと、それが欲求となり、それを満たす為だけに、いつしか、悲しみを訴えていたつもりが、ただ、優しい言葉のシャワーを浴びたいが為の行動となります。
こうなると、当初は心から同情してい人達からも、この人は、誰でもいいから注目を集めたいだけの、心寂しい、憐れな女として見られてしまいます。
やたらと同情を誘おうとする人間の特徴
わざわざ、自分の不幸を発信し続けるような行為を行う女性は、心に孤独を抱えている事が多いです。
そして、その孤独は、自分が生み出した物ではなく、自分が憎む相手が作り出したものであると思い込み、孤独の原因を作った相手を『敵』と見るようになります。
こうした女性は、その孤独を生む事になった原因が、自分には一つもないと思っている事が特徴でもあります。
孤独である事は、守るべき事(物)がない事も意味します。
守るものは、自分自身だけという考えなので、理解を得られない人間には、驚くほどの攻撃性を発揮します。
しかし、その裏返しで、孤独に耐えられるだけの精神を持っていないからこそ、攻撃する事で、間接的に相手と関わろうとしている事がわかります。
また、相手に全ての原因があるという主張を繰り返すことで、事情を良く知らない第三者を巻き込み、同情を誘おうとするのです。
その一連の行動が意味する所は、孤独の穴埋めと言ってよいでしょう。
同情を買う事が好きな人というのは、同情を誘う事でしか、自分の気持ちを表現できない人と言ってよいかもしれません。
同情を買っても解決に至らない
いくら多くの人から同情を買っても、それは一時の慰めにしかならず、抱えている問題の解決には至りません。
ただ、同情による慰めで、心の傷を癒し、目の前に立ちふさがっている問題に取り掛かる態勢を整えることはできます。
気を付けなければいけないのは、同情を武器にも盾になると勘違いしてしまうことです。
同情される事に慣れ、それを世間が味方していると錯覚しない事。
あくまで、同情は同情に過ぎません。
自分が抱える問題を解決で切るのは、当事者だけということを肝に銘じておいていください。