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不祥事を起こしても優秀な能力があればすぐに再起は可能?
今回は、特定の分野にて才能を評価されている人物が何かの不祥事を起こした際に、再び元の場所で活躍することは可能であるのかを考えていきたいと思います。
まず、不祥事の内容にもよるところもありますが、流石にバッシングが起こる最中での再起は時期尚早。いかに原則上では活動が可能な状況であったとしても世間の反応や声を無視した形で無理に再起をしたとしても、それを理解してくれる人は少なく、結果的に新たな批判の火種を作るだけです。
再起を急ぐのは禁物で、反省の意味も含めて一定の自粛期間を設けることは必要かと思います。
不祥事の後に求められるのは道徳性
どのような類の不祥事であっても、その一因を探れば道徳性の欠如は否めません。
そのため、不祥事を起こした直後より、一刻も早く再起を果たさねばという考え自体が、道徳心とかけ離れた心構えと指摘を受けても反論できません。
まずは、心より自身が犯した行為について徹底的に反省すること。ただし、家で自粛が解けるのをただ待つような意味のない時間は反省とは言いません。
反省とは何故、そのような行為を犯したのかと自問自答し、そこで自分の未熟さや至らなさを直視し、二度と同じことをしないために戒めとすることです。
不祥事を起こしながら、運が悪かったからとか自分以上に悪いことをしている奴もいるだろなどと、心の中で悪態をつくようなことであれば、どれだけ自粛期間を設けても再起は難しいでしょう。
再起で評価されるのは能力ではなく人間性
再起するときに世間が見るのは、不祥事前の才能や能力ではありません。不祥事を起こした後にどれだけ反省しているのかという点です。
なまじ能力に自信がある人は、自分を見捨てるはずがないと思い込んでいることが多く、まるで不祥事を起こしたことなどを忘れたかのような態度を見せることもしばしば。
いかに優れた才能や人並み外れた能力を持っていようと、不祥事を起こした時点で人間としての信用を失っています。そして、その信用は自粛期間で取り戻せるものではなく、再起してからの言動や生き方から時間をかけて取り戻していくものです。
能力に過信した人ほど、再起した時点で不祥事を起こす前にリセットされていると勘違いしがちですが、全てを失った身であるという自覚を持たなければいけません。
全てを失った原因は道徳観の欠如であり、それを司る人間性です。
優秀さに再び目を向けてほしいと思うのであれば、まず以前とは違うという人間性を認めてもらわないと、本当の意味での再起は叶わないでしょう。