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七光りの人間は嫌われている?
七光りといえば、有名人の子供として生まれ恵まれた環境で育ったことを揶揄されることが多い印象。
しかも、そのひと個人の人格、能力などをみることなく、誰々の子供という情報だけで七光り呼ばわりされ、冷たい視線を浴びせられる。
ここまでくると、七光りの人間というだけですべての人に嫌われているのかと思ってしまいますよね。
実は七光りが羨ましいだけ
七光りと呼ばれる人には、一般家庭よりも恵まれた環境下で育っていることや、知名度のある親のおかげで苦労とは無縁などの共通したイメージが色濃くあるように思えます。
実際、七光りと呼ばれる人たちは、お金持ちが多かったり、親の名前で華々しく注目を集めているなど、一般人からみれば羨ましいと思えることも沢山あり、何をしても厳しい声が飛ぶ背景には、そうした感情が働いていることは考えられます。
七光りだけの苦労も
多くは一般家庭より経済的に恵まれた環境であるため、そこから苦労知らずのお坊ちゃん、お嬢ちゃんという勝手なイメージが先行し、一人の人間、人格を認めてもらうことに苦労が伴うこともあります。
中には、有名人の子供と言うだけで親と比較され、少しでも上手くいかないことがあると、勝手に失望され、自尊心を傷つけられてしまう。たとえ親があるジャンルで非常に優れた才能を認められていても、子供がそれと同じ能力を持っているとは限りません。
そして、日頃より七光りに良くない感情を持っている人は、それを批判して、自らの嫉妬をぶつけるのです。
こうして考えてみると、資産家や有名人の子供として生まれたからといって、一つも苦労がないとは言い切れません。
むしろ、自分ではどうにもできない出生を理由に、謂れのない非難や誹謗中傷に遭うケースは七光りと呼ばれる人たちだけの辛さや悩みとも言えます。
七光りはあくまで境遇に過ぎない
七光りと言われる当人からすれば、ただ当たり前に生まれ育った環境がそうであっただけで、人から非難される謂れなどはなく、それをうらやむ一部の人たちから、筋違いの批判対象にされるという面では、理不尽極まりないといえるでしょう。
しかし、七光りと言われる人の中には、親のお金や権力を我が物顔で振りかざし、周囲を見下すような振る舞いをするひともいます。
そうした親の威光を盾に好き勝手やる一部の人間が、世間の印象に強く残り、財産家の子供や有名人の子供を同一視して敵愾心をもつ人たちが一定数いるというのは現実にあるかもしれません。
ただ、恵まれた環境の人がみんな傍若無人なわけではないように、世間もすべてが偏見に満ちているわけではありません。
七光りと揶揄する人間もいれば、ただ生まれた環境が違うだけと考える人もいます。人が嫉妬を覚えるのは環境だけでなく、容姿や能力など挙げればきりがないほどです。
そんな取り合う必要もないことに気をとられるより、堂々と自分の人生を歩むことに取り組むほうが賢明といえます。