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語彙力が乏しい人と思われることも
感動を伝える場面などで、いつもお決まりのような言葉ばかりだと、この人は語彙力がないのかなと思われる可能性があります。
気心の知れた友人だけの集まりであれば、そこまで気にする必要はありませんが、それでも毎度、同じ言葉ばかりを使って表現していると、心から言っているのか疑われたり、本心が伝わりにくいときがあります。
特に、最近でよく耳にする『ヤバい』という言葉をどのような場面でも使っている人は、語彙力うんぬんよりも、言葉を考えずに発している印象が強く、ヤバいと言っておけば万事うまくいくと思い込んでいるように見えます。
美味しいものを食べても『ヤバい』
不味いものを食べても『ヤバい』
ちゃんとした言葉を使いながらコミュニケーションをとっている人からすれば、ヤバいを連呼するだけの人は宇宙人のように見えてしまいます。
本人の中では、使い分けが出来ていると思っているのでしょうが、独り言ならいざ知らず、誰かに伝えるときの表現としては、あまりに拙く、浅はかな印象を与えます。また、この人はどんなことが起こってもヤバいで片づける人なんだと認識されます。
そうなると、自分の危機や真剣な話を伝えるときでも、相手は、いつものヤバいだなとぐらいにしか受け止めてくれないことも考えられます。
これは何もヤバいという言葉だけに限らず、一つの言葉や表現方法に頼っていると、言葉に重みが失われてしまうことがあるので注意しなければいけません。
リアクションの良い人という評価も
前述では、いつも同じような言葉や表現方法をしていると、言葉の意味合いや真実性が薄れていく危険性があることに触れました。
なので、ここでは別の視点で考察していこうと思います。
まず、ワンパターンになっている表現や言葉の良し悪しは別にして、何かを伝えたいと思っている人からすれば、全く反応がもらえないと不安になります。たとえ否定的なことでも、前向きに捉えれば、それは改善点を見出すアドバイスともなります。
ですが、うんともすんとも言ってくれなければ、良かったのか悪かったのかも分からず、ただ一人、悶々とすることになります。
それに比べれば、たとえ短い言葉や拙い表現であっても、相手にとっては伝わっていたことの証明となります。また、何事に対しても反応が薄い人は無感動な人間、不愛想な人と、相手の印象を悪くすることもあります。
しかし、取りあえずは反応をしてくれる人は、人間に深みは感じなくとも、愛想の良い人、親しみの持てる人と好意的に受け取られることも珍しくありません。
何か良いことを言わないと考えるあまり、その様子をみた相手が、困らせてしまって申し訳ないと受け取ることも考えられ、それなら反射的でも喜んでくれそうなリアクションを取ることも処世術のひとつです。
言葉を知ることが世界を広げる
相手にどう思われるかを考えすぎるあまりに、言葉一つ口にすることが躊躇われるのも良くありませんが、かと言ってなんでもヤバいで片づけるのは、あまりに言葉が疎かにされ過ぎだと思います。
やはり、そこは日頃より、様々な場面で使い分けることが出来るように、言葉や表現のストックを心掛けておくことが肝要です。
そうすれば、これまでよりも豊かなコミュニケーションが可能となり、人間関係を広げていくことできるはずです。